藤田神社藤田神社

藤田神社について

抜けるような
広々とした空。
春には麦が実り、
秋には米が実る
豊かな水田。

晴れの国おかやまの南に鎮座する藤田神社は、
児島湾干拓地の総鎮守として、地域の方とともに、

また当宮を創建した、明治時代の大実業家、
藤田傳三郎(ふじたでんざぶろう)翁の
地域への思いとともに、歩んでまいりました。

藤田神社境内/岡山県立興陽高等学校蔵

児島湾干拓事業と藤田神社

藤田神社は明治32年(1899年)に着工し、昭和38年(1963年)まで、約70年に渡って行われた、児島湾干拓事業に原点があります。

藤田神社は、創立当初、児島湾神社として、大正4年(1915年)、当時、児島湾干拓事業(高崎、藤田、岡南、浦安・七区)を推進しておりました藤田傳三郎の長男、藤田財閥2代目当主、平太郎を代表とする合名会社藤田組によって、想像を絶する困難な干拓事業の成功と地域住民の末永い幸せを祈念する守護神として創建されました。

伊勢神宮と出雲大社の神様を祀る
天地の神の御神徳

当宮創建時、伊勢神宮より天津神、出雲大社より国津神を御分霊いただきました。当時、日本を代表する格式の高い神社より、ご分霊いただけたのも、藤田組を率いる藤田傳三郎の実業家としての御力あってこそ。以来、全国でもめずらしく、伊勢神宮と出雲大社の神様を一つのお社にお祀り神社として、児島湾干拓地の発展と地域の方の永幸を祈念し続け、現在にいたります。我が国の歴史のなかで、伊勢神宮と出雲大社の合祀が特別であることがわかります。

明治時代の大実業家、
藤田傳三郎を慕って

当宮を創建された藤田傳三郎は明治時代を代表する実業家です。現代にも傳三郎が興した企業は各業界で、現在も活躍されており、近代日本の経済界の基礎を作った人物と言われています。実業家や起業家には、藤田傳三郎を崇拝する方も多く、困難を極めた児島湾干拓地事業を世代を超えて完成させた、藤田傳三郎の魂や情熱が息づくゆかりの場所として、参拝してくださる方も多くいらっしゃいます。

地域の方々とともに未来へ

古来、神社は祭事や日々の祈祷を通して、深く地域と結びつき、ともに発展を目指す存在でした。時代は変わりましたが、当宮ではつねに開かれた神社、地域の軸として、祈りとともに変わらない存在であり続けたいと願っております。

当宮は平野ならではの気候で、つねに風が入る場所にあります。さわやかなやさしい風の日もあれば、強く吹き付ける厳しい風の日もありますが、風がたえることはありません。この地に吹く新鮮な風と同じように、当宮も地域発展に新鮮な風が送れるよう存在してまいりたいと考えております。
どなた様も、どうぞご参拝ください。

  • 御祭神豊受大神、大國主大神、少彦名大神
  • 御神徳五穀豊穣、家内安全、事業繁栄、
    縁結び、病気平癒、開運招福 他